ぐーたら女の覚え書き

日ごろ思うことなどの覚え書き。長男7歳、長女5歳、次男1歳の育児記録やら、好きな絵本を気まぐれに紹介やら、色々です。2021年1月からアメリカサウスカロライナ 州へ駐在の帯同をしています。

補習校について

補習校が本当に大変で辛すぎたが、結果的に行かせていてよかったと思った、という話。

 

まず、基本情報として我が家が行っていた補習校は、片道2時間半弱の都市にあり、基本は土曜日の8時50分から12時45分まで。

国語と算数を日本の教科書を使って教えてもらえる学校だった。

 

2年生は10人前後(駐在員は入れ替わりが激しいので出入りが多い)で、幼稚部は5人前後のクラス。

 

日米ハーフの子もいれば、駐在員の子もいるし、日本にルーツがあって日本語を習得したい子も通っていた。

 

規模的にはかなり小さい学校だと思う。

 

 

我が家は最寄りの補習校は車で1時間のところにあったが、コロナの影響でオンライン期間が長くて、低学年のヨーヨにはやっぱり対面で授業を受けてほしいと思っていたので、毎週土曜に5時起きで大変しんどかったが、そこを選んで通うことにした。

 

勉強はもちろん家庭でのサポート無くしては成り立たず、補習校の宿題に費やした時間は膨大な時間だったし、私のストレスも半端じゃなかった。

 

ゆき氏はまぁ特に問題なく楽しそうに通っていたが、ヨーヨはまぁ問題?が絶えず、辞めようかしらと思ったことも一度や二度じゃなかった。

 

ただ、本人は辞めてもいいよって言っても、行くって言って辞めたい感じではなかったし、一時帰国の時に主治医の先生に相談した際「本人が行きたがってるなら、何かを得ようとしてるってことだから、それはそれでいいんじゃない?」とアドバイスをもらっていたので、辞めることはしなかった。

 

やっぱりヨーヨは発達があらゆる点で遅いのは否めず、人数が少ないとはいえ、定型の二年生に囲まれてよく頑張ったなぁと思う。

 

そして、転勤が決まって、日本の学校に行くとなれば、もう絶対に支援級だなと気持ちが固まったという点で、私にとっては大きなありがたい経験だった。

 

私としては、帰国後もずっと仲良くしたいと思えるママさん達に出会えたことがとても良かった。

 

自分の住んでいた地域は日本人がすごーく少ない地域で、私の性格上色んな人と色んな関わりがないと人間関係が窮屈に感じてしまうので、その点でもありがたかった。

 

小学校一年生から二年生の二学期までお世話になっただけだったけど、ヨーヨの対人関係の発達において、すごく重要な二年間な気がしていたので、通うのめちゃくちゃ大変だったけど行って良かったなーと思える学校だった。

 

2年生の担任の先生がヨーヨにかなり理解がある先生で可愛がってくれたのと、校長先生が人間力高いって言ったらいいのか、とても気にかけてくれて、私的にかなり救われた。

 

 

これはおまけで、学校から帰ったら宿題をする習慣がついたのは嬉しい誤算?だった。

 

ヨーヨは一度習慣化してしまえばきちんとこなすタイプなんだなぁと改めて思った。

 

あ、けどうちは報酬制を取り入れてるので、それ目当て感はかなりあるけども笑。

 

(ゆき氏は全然違う。全然習慣がつかない。まじ私に似てて、適当すぎ。どうしたらいいの。)

 

まぁまぁな量の家庭学習をこなしていたので、この習慣が続くように、くもんに行くことにした。

 

今のところいい感じなので、このまま続けられたらいいなぁ。

 

そして。

じょっちゃんは補習校生活の影の立役者かもしれない。

彼を連れてるおかげで、色んな人に声をかけてもらえたから。

朝早くに叩き起こされ、往復5時間のドライブによく耐えてくれたよ涙。

感謝。

 

家族総出で毎週末よく頑張ったな。

間違いなく、我が家の駐在生活で大変なこと上位に入る補習校。

 

帰ってきて改めて日本語の維持に役立っていたのは間違いないなと思うので、大変な中頑張って良かったなと思う。

 

f:id:saohimco:20240302045922j:image

↑こーいう田舎道をひた走り、1時間45分。さらに高速30分の道のり。

アメリカの夜明けを毎週拝むことになるとは思っていなかったなぁ。

 

今日の3冊