もう、だいぶ誕生日が過ぎてしまった。
7歳の誕生日は、州外にいて、秋の大旅行の真っ只中だった。
その日はユタからアリゾナへ、5時間の移動で、ぐったりしつつも、誕生日に肉が食べたいというので、ペイジという町でステーキハウスに行き、ステーキを食べた。(私が)
ヨーヨはコーンドック(っていう、アメリカンドック的なもの)のキッズミールを頼んでいた。肉食べたいって言ってたの何だったの。
そんなこんなで、特別な誕生日を過ごした。
6歳になった時の日記を振り返ってみたら、文字を読み始めた頃で、ひらがなや数字を習得中だった。
今はひらがな、カタカナ、漢字を補習校で
習って、現地校では英語で授業を受けて、頭パンパンになりそうなくらい日々頑張っている。
私が小1の時なんかは、鼻くそほじっておやつ食べてるだけの存在だったのに、我が子ながら立派で泣ける。
嘘。
だいぶ盛った(何のために)
毎日イライラギラギラしながら宿題やれー!とまくし立ててる。
反省。
現地校と補習校でそれぞれ面談があったので覚書。
【現地校】
通常のクラスでは、授業についていけているよう。
もちろん、英語は成長中で、いわゆる国語的(ここでは英語)な点数が低いのはそのせい。
気になるお友達が何人かいて、一緒に遊んでいるらしい。
スクールランチ命で、好きなものだけ食べてあとは捨ててる。
(終わってる。食育して)
少し前にボランティア活動で先生から声をかけてもらって(私が)、教室のドアにハロウィンのデコレーションをするってのを体験してきたんだけど、その時に少しヨーヨの学校での様子が見られて良かった。
「I need help!」と言って手を上げて、先生にやり方を聞いてた。
【補習校】
概ね問題ない現地校に対して、補習校はやはり少し問題あり。。。
日本が母語だから当然と言えば当然なんだけど、現地校よりもかなり高度なことをやっているような気がする。(ヨーヨにとって)
分からない時に先生に聞きまくったり、大きな声を出したりするみたい。
私は自分が分からないのは知らんが、他の子にとっても週一の貴重な日本の授業を受けられる機会の邪魔をするのはあってはならないことだと思うので、これに関しては本人にかなりきつく注意したし、先生にもそこは厳しく言ってほしいとお願いした。
支援級ではないからね。
けど、担任の先生がとても良くて、親身になって話を聞いてくれた。
4月からみたら本当に成長したし、毎週時間をかけて来ている意味は絶対にあるから頑張ろうって言ってくれた。
なので、あと一年何とか頑張ろうと思う。
往復5時間弱は毎週ほぼ死にかけになるけど、こんな大変な時代もあったよね、あの時頑張ってよかったよねっていつか思い返せる日が来るといいなぁ。(いや、マジきてくれないと困る)
夏に夫の会社の上司?が日本から単身で3人赴任してきたのだけれど、その中の1人の方の中1の息子さんがADHDで、色々お話を聞いてとっっっても共感することや学ぶことが多い。
(その子は3人兄弟の末っ子長男らしい)
ここでの生活で、私が一番辛いのは、発達っ子を育てる言わば同士が物理的に周りにいない事で、微妙に笑えない愚痴?を共感し合う場がない事。
笑い話にしたくても、相手に気を遣わせて微妙な空気になる事が多いので、いつもモヤモヤしていたが、その方と話してると「分かるよー!」とか、「こういうのが大変だよね」って言ってもらえる事がたくさんあって、すごい救われる。
そのお子さんも、小2から3年ほどアメリカ駐在に帯同していたらしく、補習校は毎回付き添いをお願いされていたと言っていた。
(その子も現地校の方にはすぐ馴染んだとの事)
それでもやはり補習校には行っていて良かったとのことだったので、なんだかそれを聞いて、今めっちゃ大変だけど、親としてできる数少ないことの一つな気がした。
さてさて。7歳。どんな一年になるかな。
毎日健康で、楽しく暮らせますように。
それが1番の願い。
追記
絵本の話
いまだに変わらず、寝る前に一人一冊絵本の読み聞かせをしている。
最近は私が選ぶ児童書を何日かに分けて読むのが楽しみみたい。
今まで読んだもの↓
少し前にしばらく同じ本を持ってくることがあった。
これは、夫の会社の福利厚生で、日本人が少ない地域に駐在している人に絵本を送ってくれるという、ありがたすぎる制度で送られてきたもの。(50冊くらい送ってくれて、もうひと家族と山分け)
どストレートな愛情表現の本で、私が書店で手に取っても、絶対に買わなかっただろうな、、、と思うもの。
でも、ヨーヨはこの絵本をすごく気に入ったようで、読んでる時は何か嬉しそうだった。
こういう類の絵本はあまり好きになれないのだけど、たまにはいいなぁと思ったし、案外こういうストレートな愛情を子どもは望んでいるのかもしれないなぁと考えさせられた。