ぐーたら女の覚え書き

日ごろ思うことなどの覚え書き。長男7歳、長女5歳、次男1歳の育児記録やら、好きな絵本を気まぐれに紹介やら、色々です。2021年1月からアメリカサウスカロライナ 州へ駐在の帯同をしています。

2020年の感想

年明けから昨年を振り返る。

 

1月〜3月 

夫不在の中、福岡でのワンオペ。

3末に実家への引っ越し。

最後の1週間で、溶連菌に感染した子どもたち。ヨーヨはいつもの元気の5%くらいの活動で、寝たりゴロゴロしたりして、心配ではあったが、看病は楽だった、、、。

家計用財布や、転出証明を引越しの荷物の中に入れてしまったり、アパートの明け渡しの時間を変な時間に設定してしまったり、何かとポンコツさが際立つ引っ越しだった。。。

 

4月〜5月 

ヨーヨ新しい保育園へ転入、、、とか言ってる間に新型コロナウイルスにより、緊急事態宣言が発出され、自宅保育を余儀なくされる。

また、GWに一時帰国の予定だった夫、帰れず。

こんなことってある??の連続。

うん、あるのね、こんなことって。

 

6月〜8月

ヨーヨが新しい保育園に行き始め、新しい療育に行き始め、私は楽になるかと思ったが、想像以上の行き渋りに心が死ぬ。

前の場所と比べては、自分の選択に後悔し、4月終わりにきた引っ越しの段ボールの整理に明け暮れ、辛すぎる日々を過ごす。

ストレスで何度か発狂して、母を泣かしたりする。。。最低。

 

9月〜12月

ヨーヨは保育園にも療育にも慣れ始め、運動会やお遊戯会などもこなす。

去年からしたらびっくりするくらい成長していた。せっかく慣れたところで、お別れ。

転勤族の悲しみ。

分かっているが、毎回辛い。

けれど、そうも言ってられないため、新しい生活に向かって頑張るしかない。

この間に、船便を出したり、アメリカへ行く準備に本腰を入れるが、まぁ〜ストレスを感じる毎日で、全てに嫌気がさしていた。

 

私の生活は概ねこんな感じですぎた。

書くほどのことではないが、何か大変だった時のことはしっかり書き留めておきたくなる性格。

 

日本は総理大臣が変わって、何か色々政治に対する無力感みたいなものが強くなった。(私比)

給付金10万は要らないから、必要な人に必要な補償をしてほしいなと思ったりした。(もらったから説得力ないけど)

なぜこの冬に向けてPCR検査を公費で簡単にできるように整えていないんだ?とか。

このコロナで人が死ぬことだけがいけないとされ、特別視されることに対する違和感とか。

コロナはもう共存するしかないよ。

人の動きを止めて感染対策をするのも結構だけど、風邪を引かないで強い身体は得られないと私は思うけどね。

不自然だよね。

若者が無症状で年寄りにうつすって、当たり前すぎて何も言えないじゃん。

そういうもんじゃん。

まぁ、人間が不自然で身勝手な生き物なのは、地球上でみて明白だけれども。

 

石破さんが総理大臣になれなかった事に自民党の限界をみた気がする。

もうあかんよ、今の自民党は。

流れが止まって澱んだ沼みたい。

 

新年早々、キレ散らかしてるやばいおばさん笑。

大丈夫か、私。

私の社会への不満はこれくらいにして。

 

12月14日に無事に夫と再会。

母曰く、子どもたちもそうだけど、私が一番嬉しそうだね、と。

 

本当に色々なことに振り回されて、感情の浮き沈みの激しい一年だった。

もう経験したくない。

良かったなと思ったこともいくつかあって、地元で生活することで子ども二人が、私の母や親戚にとても懐いて、みんなから可愛がってもらえたこと。

馴染みの友達が近くにいるという、シンプルな安心感の中で生活できたこと。

療育関係で心から育児の大変さを分かり合える友達ができたこと。

それは何にも変え難いことなので、色々大変だったけれど良かったかな、とも思う。

 

 

今、この記事はアメリカの新しい家で書いてます。

隣には今現地時間で15時半なのに、時差ボケで深い眠りについてしまった子どもたちと夫がいて、やっと家族4人で暮らせるようになったなぁと感慨深い気持ち。

 

2021年は、とにかくメンタル維持が目標。

私がとにかく心身元気でいること。

それが何より家族を守ることにつながるような気がしている。

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ダラスの空港で、ターミナルを移動中の一枚。

二人とも移動はめちゃくちゃ困らせられることなく、成長を感じた。

丸一日の移動を頑張れた。

まずは時差ボケを直して(これ本当に大変。どうなるか未知)生活リズムができるといいな。